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ルカと苑国

 あの柵は、外からはそんな風に見えるんだね。あれは空の彼方まで伸びているように見えるよね。けれど、少し離れると、そんなものはまるで何もなかったかのように見えなくなるんだよ。見えるのは暗くて深い木々の緑の頭と、藍色の空ばかり。

 そう、こっちからはそう見えた。

 ここみたいに、朝とか昼とかそういうものはないんだ。概念としては知っていたけれど、あそこはずっと同じ明るさで、同じ空の色をしていた、こっちでは、太陽が昇る前と、落ちる前のほんの少しの間だけ見える、空の色なんだね。

 雨は降ることがあったから、あの鉛色の雲のことも、雨のことも知ってるよ。

 ここの外がほとんどの時間すごく明るいのは最初は本当につらかったんだけど、なれてきたよ。だから心配いらないよ。

 あそこは本当は、ランカムカン支部って呼ばれているの?え?もっと長いの?そっちは第二支部なんだ。苑国(えんこく)って、僕たちはそう呼んでいたよ。

 楽園にしたかったんだってセイリオが、ううん、みんなはセンクラッド博士って呼んでいたっけな。そう、本当の名前はシリン・センクラッド。それは、僕だってちゃんと知っているよ。僕はずっとセイリオと呼ぶことになれてしまっているから。うん。僕以外にそう呼ぶ人は居なかったけどね……。

 彼があの場所の王様だったと僕は思っているし、そうだね、僕にとっては神様だよ。でも決して力ばかりで統治している王国なんかじゃないよ。セイリオはとても優しいんだ。やがてこの世から去ってしまうみんなのために、少しでも楽園に近づけるようにって配慮していた。

 みんな、老い先が短いんだってさ……。

 そう、僕が生きているだけの場所ではなかったから、僕だってすごく気を遣っていた。人のバランスってすごく脆いから……。

 僕は、”ルカ”はあそこでは絶対だっただろうけど、そんなことみんな忘れているよ。僕の研究は本当はもうずっと前に終わっていて、やる事なんて何にもなくて、ホントはみんな手持ち無沙汰だったし、そこに僕がいたってみんな聞こえるように僕のことを話すよ。僕はみんなにとってほとんど人形で、時々ただの子供なんだ。

 ただの子供という物が、本当はどんな物なのかなんて、僕にはさっぱりわからないけれど、多分そうなんだ。みんな、僕がただの子供だったことなんて、最初から一度もないなんて事、忘れているんだ。

 ホムンクルスはもう大分前に実用されているらしいということも聞いたよ。十年以上生きている個体がすごく珍しいことも。少年の、男性の肉体は作るのが難しくて、僕の時はできなかったけど、今はもう完成しているんだね……。

 僕は、きっと今生まれていたら、本当のルカになれたかもしれないけれど、きっと多分本当はそんなことじゃなかったんだろう。って思う。僕だってまだここにいることをちゃんとわかってなんかいないよ。

 どうして僕がここにいるのか、なんでこんなことが起きているのか、疑問に思ってないわけじゃないよ。でも、そんなことを僕が聞いてしまっても大丈夫なの?君は僕から、あそこの事を知るように言われただけでしょ。余計なことなんかしたらとんでもないことになるんじゃない?

 

 

 

 

 僕が苑国と呼ばれていた、あの場所から離れて、ここ、に来てから、ルシェなんて呼ばれ初めて少し経った頃だった。

 茶色の髪を一つにまとめた女性の研究員が、僕の話を聞きに来た。僕の生まれた研究施設のことを聞きたいと。いくつもの質問をして、僕はそれに答えた。

 会話は雑談のようで、僕の話はきっととりとめもなかっただろう。それでも何かの役に立つならと、僕は覚えている、知っている限りのことを話した。

 それでもあの場所の、苑国の全てではない。僕の目や耳は一対ずつしかないし、それでも僕は彼女が思ったよりも多くを知っていたようで驚かれた。

 それもそのはずだろう。僕は本当ならば知ってはいけない僕自身のことも、よく知っていて、それは僕のことを何も知らない子供だとか、人形だとか思っていた人たちがいたずらに、もしくは親切心で、丁寧に教えてくれたことがあって、そのためにそんな余計なことまでよく知っていた。そうしてそのたびに、僕は何も知らないふりをしたし、セイリオにだって話さなかった。

 彼が望んでいる楽園を壊したくなかったんだ。

 あの人たちのバランスは、僕一人の力で容易に壊れてしまって、余計な諍いが起きて、とんでもないことになってしまうのを、僕はずっと前に経験していて。それがとても怖かったんだ。

 

 

 

 

 僕の本当の名称はLUCA028。二十八番目の被検体だよ。その前に二十七体の被検体が居て、でも全員死んだんだって、教えてもらった。研究棟の奥に離れの家が在って、僕はそこに住んでいたんだけど、その後ろの奥の森の中に墓地があるんだ。

 あそこを去って行った研究員のための墓地なんだけれど、なぜかって、あそこを出るには死ぬしかないから。大丈夫。ほとんどは寿命だよ。

 その墓地のお墓は去って行った研究員の数と合わないって、知った人が調べたんだって。

 それが二十七基在って、LUCAって彫ってあったって。

 よく探したら研究日誌だってちゃんと在ってさ、僕の前には二十七人人間の少年が使われていたって事が書いてあったんだって。

 要するに僕を造るために少なくとも二十七人の人間の命が犠牲になったって事でしょ。知ったときはすごくショックだったよ。

 セイリオがそんな事をするとは思えなくてすごくショックだったけれど、でも実際僕はこうしてここに居るわけだし、それがすごく難しいことなんだって事も、よく知っているから、そういった犠牲が、なかったって考える方がおかしいんだ。

 だから僕はルカで在ることをきちんとやらなくちゃいけないって強く思ったよ。

 だってそのために僕は造られたのだから、そう生きる事が僕の仕事で、天命なんだって。思っていたんだけどね……。

 そうでも僕はルカをあまり知らなかったから、セイリオはその話をしたことはなかったし、だからそのときの世話係のレイカに、セイリオの日記の隠し場所を教えてもらったんだ。書斎の、本棚の本の奥にもう少し空間があって、そこに日誌が隠れて並んでいたっけな。読んだよ。でも全部は読めなかったけど、でもそこにはルカがどんな人だったのかなんてほとんど書いてなかったんだ。あったのは僕が知っていることばかりだ。その他はセイリオの後悔と懺悔ばかり、それとセレイネイドのこと。

 セイリオのほかにもう一人、僕を造ることに深く関わった人が居ることを、その時初めて知ったんだ。

 セレイネイドはセイリオの友達で、ちょっとわかりにくいやつで、時々とんでもないことをして、よく彼を困らせていたみたいだ。

 それから、セレイネイドは死にたがりで、この研究は、彼が本当に死ぬためにやっていたみたいだよ。どうやら人間じゃなかったみたいで、それは、セイリオだってそうだったんだけど。そこははっきり聞いたことがなかったな。だって僕は人間じゃないし、人間ではないことが、どれほどのことかなんて、あそこではあまり感じないんだ。それが大事になっている物語なんかは沢山在ったけれど。

 それで、僕はずっと、セイリオの昔の友達のルカという男の子の代わりなんだと思って生きてきたんだけど、それが誤解だったんだってわかったんだ。

 セレイネイドが、ルカになりたくて、それをそうしたんだって。だから、僕はセレイネイドという人の命と存在を引き換えにして生まれているんだね……。

 セイリオは日誌で、こういった形でセレイネイドの願いを叶えたことが、彼を救うことになったのかどうか、ずっと悩んでいたよ。

 だから、セイリオはずっと僕を気にかけるし、すごく心配するし、そうなんだなって言うことがわかった。

 それから僕はさ、そんな風にしているセイリオを僕から解放してあげなくてはと思ってしまったんだ。

 だってそうでしょ。僕が生きていることで、セイリオはあそこでいつまでも僕の面倒を見なくちゃいけない事になっていて、それでずっと苦しんでる。何にかはよくわからないけれど……。僕以外の誰かが救いになればいいのにって、何度も思ったし、そうなりそうなことだって何度もあったんだけど、そうはならなかった。

 だから僕は最初で最後の決断を、したんだよ。苑国を閉じるって。

 ううん。違う。閉じてもいいよ。ってセイリオに言ったんだ。終わってもいいよって。

 そのときはちょうど、あそこの維持が厳しくなってるらしいって、いろいろ縮小してたから。受け入れる研究員の人数も減らして、ほんの数人になっていて、セイリオも外の人と柵越しの会議を何度も、ずっとやってて……。

 終わるのは、いつだってよかったんだ。どうせ僕も一緒に消える。それなら本望だったんだ……。
 なのにね……。

 

 その時はそこで時間が来てしまった。きっともっと語るべき事は沢山あったんだろう。このときの僕は、それもまたそういった機会が在るだろうと、楽観的に考えていた。

けれどそんな間もなく、僕はサレンアーデと旅に出ることになってしまって、僕の語ったことがどうなったのか、どのように役に立てられたのか、知ることはできなかった。

 それからずっと後になり、西方都学会の上層部の権限によって、僕の語った記録は消されてしまったらしいということを知った。

 苑国と僕たちが呼んでいた場所のことを、学会はどうやらなかったことに、したいらしい。

 それは僕が、セレイネイドという魔族を元に造られたホムンクルスであり、その事実そのものが、学会の方向性を否定する物になるからだそうだ。

 全部なかったことにされたんだ、はじめから……。でも僕は、今もまだここに在るのにね……。