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ReL2007年の小説

2007年7月に執筆した
ReLの物語です。
苑国での出来事を書こうとしていました。
当時、友人たちとプライベートに運営していたサイトに載せてもらいました。

薄明かりのネバーガーデンの元になる物です。

ReL苑国時代の主人公である、スズモリレイカの視点からのお話です。

あと、現在には存在しないキャラクターが出張っていたりします。
この話は2話まで書きましたので後ほど2話をUPします。


→終りの御先

 

最後の雨は氷に変わり、セピア色の大地を白く染め上げた。

煉瓦の建物は漆喰に変わり、主もろとも石と化した。

柵に絡んだ草花は灰と化し、世界は白に侵され、その中心から姿を消した。

昇るはずのない太陽が姿を現した時、そこに残された者の姿を捉える。

一人は子供。一人は男。

裸足の子供は何も見えていないかのように、虚ろに空を向いている。

子供の後ろに立つ男は、子供の頬に張り付いた煤を何の感情も抱かずに見つめた。

やがて子供は、後ろから世界を覆い尽くす眩しい光に気がつくと同時に、

そこにいる男の存在を知った。

男の瞳は鋭く険しく、そこに映りこむのは七色の紅。

進行する光と同調するようにその色は移り行く。

神々しいほどの光が魔を射る様に、子供の身体を朝が覆えば、子供は自らの身に降りかかった悲劇と、そうしてできた深淵を知る。

男は子供の深淵を見つめるかのようにその翡翠の瞳を見つめ、そしてその先の消えた世界を眺めた。

ここに一つの世界が終った。

その先に彼らは立った。

彼らの義務は跡形もなく消え去り。

存在だけが血を廻る。

 

男が子供の後ろの景色を見やれば、子供もつられてそちらを見つめた。

二人は時間を忘れたかのようにその場所に見入り、否。

その場所にかつてあった己の意味を、その価値を見出そうとしていた。

歩まねばならない道は提示されず、しかし移ろいでゆく時間には逆らえず、今ならばまだ歩きやすい道であろうが、彼らにその輝きは見出せず。

それならば、今一度その道を振り替えろう。

ここに訪れるまでの、約束されていたはずの永久を。

 

 

#1、死に到るような安楽 即ち永久

 

 

その高貴なる盃を手に、我らが主(あるじ)はこう答えた。

罪びとには箱庭を与えよ。

その有難き憐れみを、咎人なるレウァンは快く受け取り

永久を司りしその箱庭にその身を預けた。

 

                ――――セム聖典  罪の章 13節 西方都学会訳  ――――

 

「ねえ、こんなところにも聖典があるよ」

「でも少し訳が安っぽいと思わない?」

「そうかな?」

 三つ編みのジェリカルアネンは、その薄汚れた書物を棚に戻すと、渋い顔をしながら手のひらをパタパタと動かした。

「なに?」

「埃臭い」

「窓、開けたらいいじゃない」

 私はその動作を苛立たしく感じ、棚の突き当りにある窓に自らを逃がす。

 そしてそのまま窓の桟に背を預け、彼女をなるべく見ないようにする。

「ねぇ、レイカ?」

「なに?」

「私のこと嫌い?」

「なんで?」

「なんとなく」

「どうして?」

「なんでもない。私の気のせい!ごめんね忘れて!」

 そんなことないよ。なんて言葉は言う気になれない。

 私はそのまま彼女を見ず、窓の外を見下ろす。

 外はいつもの通り青く明るく、仄暗く、そして枯草だらけだった。そしてそこには、この西棟の庭にただ一つだけある、黄緑色の街路灯がある。その横には、頭の色の薄い、服の色まで白い人生の先輩方が煙草を吸っていた。

 目をそらしたところで、気は晴れることなく。

 煩わしい彼女との関係をこれ以上に悪化させないために、私は繕って彼女に微笑みをかける。

 すると彼女は嬉しそうに笑う。なんて単純。

 彼女の年齢はいくつだったか。このような女学生のような幼い、率直すぎる態度が非常に私の癇に障る。

 好きか嫌いかと問われれば、答えは決まって「嫌い」だ。

 この施設の平均年齢は極めて高い。窓の外の街路灯の下に集まる人たちのようにお年を召した先行きの長くない人たちばかり。

 私や、彼女のような若輩者なんかは普通はこんなところには来ない。

 だからこそ厄介。

 ジェリカルアネンが特別に嫌いなんじゃない。

 ここにいる人間全員と距離を保っていたい。

 私と彼らではいる理由が根本的に違う。近付いて私の得になるようなことはないし、それに、逆に厄介なことになるだけ。というか面倒。

 もう、人生を全うするまで、これ以上の面倒事には関わらないと意思を固めたのに。

 年齢の近いジェリカルアネン・ヴァザウィーナと出会ったばっかりに、そして彼女にうっかり好かれてしまった事により、その決意は破綻。

 また面倒な道化を演じなくてはならなくなった。

 彼女いわく、「私たちは同類」だそうで、いったいどこをどう見たら同類と見えるのか、

 そもそも見た目からして私たちは異なっている。

 ジェリカルアネンの肌は見事な褐色。その小動物を思わせるようなくりくりとした黒目勝ちの瞳に、ゆるくウエーブした漆黒の髪。胸もお腹も華奢だが保護欲、否、私には加虐心震わす幼さあふれた小柄な肢体と態度。

 私は黄色の肌に切れ長の一重。飾り気のない眼鏡がさらに瞳を小さく見せ、飾る気のないごわついた黒髪を後ろにひっ詰めている。男もひるむ、といっても私の国の人種のみを対象にしてだが、長身長。胸もあるが、それなりに余計なお肉もあり、どう考えてもこの間には埋めることのない溝があると思う。

 性格だって幼さを前面に出した彼女と、根暗みたいな私とでは天と地、月と朱盆だ。

 かろうじて年齢は近いが、多分そういうことではないはずである。

 それがどういうわけか、この勘違いのお嬢さんは私のことをえらく気に入ったようで、初日から、あれやこれやとお節介を焼いてくる。

 今回のこれもきっと私のため。だ。

 そう思うと責める気にはなれないが、でもやっぱり好きにはなれない。

 それは彼女だけじゃない。 

 私は、この場所そのものが好きになれない。

「あった!」

 黄色い声の手本のようなな完高い声が、無人の館内に響く。

 彼女の声の出元は、先ほど私が開けた窓のある列から数えて三列、ちょうどこの図書館の真ん中の方。

 図書館といえども、学校の教室一つ分くらいの広さしかないので、人一人を見失うなんてことは、滅多にない。

 呼べば声が返る。そう言った距離。

 私は室内の空気を循環させるために、そこまでの列の窓をすべて開けてから、彼女の元へ向かった。

「遅いよレイカ!」

「窓開けてたの、ごめんね」

「あ、そっか」

「それで?あった?」

 彼女は大きくうなずくと胸元に抱えた薄茶色の本を差し出した。

 私はその表紙に書かれた文字を確認すると、本を受け取り、棚を覗く。

 そこには同じタイトルの本が数冊。そのタイトル下に書かれている番号順に規則正しく並んでいた。

 私はそれらを確認すると、持っていた本を棚に戻す。

「じゃあ、仕事しましょうか」

「持っていかないの?」

「後で取りに来るの。邪魔じゃない?掃除するのに」

「ああ、そうだよね!」

 これが終われば私は洗濯。ジェリカルアネンは調理と仕事が分かれる。

 本日においては、久方ぶりの別離だ。

 

 

 風が木々を揺らし、頬を滑り髪の毛をもてあそぶ。

 ついでに、竿につるしたシーツもはためかせ、これで日の光でも出ていれば、すぐにでも洗濯物が乾いたであろう。

 しかし太陽は、この地上のどこか、地平線のすぐ下あたりで、自分の仕事を放り投げて眠っているらしく、沈みきることもなく、かといって姿を見せることもなく、このなんとも言えない、夜明け前のような、日暮のすぐ後のような、青い光景ばかりを見せびらかしている。

 魔法の時間。といわれていたはずだ。

 夜明け前や日暮の時のほんの少ししか見ることのできない、世界が一番美しくなる時間帯。

 その美しさの価値は、やはりほんのわずかの間しか見せないという、景色の希少価値によるものも多いはずだ。だからなのだろうか?私はもううんざりしていた。

 まだ来たばかりといってもおかしくないくらいなのに、この光景をあといくつ寝るまで見続けなくてはならないのだろう。なんてことを思っている。

 どんなに大きい宝石だって、見飽きたらただの石。

 美しさの無駄遣いとはこのようなことを言うに違いない。

 それと同じくこの場所は、面白いくらい時間が動かない。

 季節の移り変わりはなく、気候の変化も少ない。

 今日のような少しばかりの強い風は、これでも珍しい方である。

 この景色よりも、価値があるのはこの風か。

 まるでガラスがダイヤに変わったような錯覚。

 

 

 

 どこからともなく鐘の音が響きたと思えば、足元もおぼつかないような深い霧が徐々に晴れだした。

 その先には鉄製の柵。

 その黒く塗られた無数の細い棒は、まるで天まで届くのではないかと思われるほど高く伸びて、

 そして雲の中に消えている。

 目の前の非現実な光景に絶句した私は、他の人に後れを取る形で、その入口の存在を知る。

 それは子供が通れるほどの広さをした扉。

 扉といっても、その先が丸見えの、柵の扉。

 彼らは一人一人順番にその扉をくぐる。もちろん。そのまま歩いて通れるはずはなく。みっともなく四つん這い。

 彼らは皆口裏を合わせたかのように喪服のような黒づくめで、だからこそ、その光景が余計に異様に感じた。

 さほど長くもない列の最後尾、私だけ着の身着のままの恰好で、まだ始まってもいないのに、これから先がひどく不安でたまらない。

 年齢だって、浮いているし。

 やっとのことで柵の中に入ると、それは今までいたところとは別世界。

 今までが夜だったというのに、いきなり朝になっている。それとも、まごまごとした入場手続きの間に、もう空が白んでいたのか。

 いいや、それにしても早すぎる。

 それでもまだ日が昇るまでは大分あるようで、薄ら明るくはあれど、日の元がどこにあるかもわからない。

 私たちはいまだに入った時のまま一列で、そのまま誰かに導かれたように奥へと進む。

 造りこまれた花壇がいくつかあり、そのどれもが花をつけていない。

 芝生は枯れていて、黄金色の絨毯のように広がっている。

 辺りを覆うような木々は紅葉を見せ、ひらひらと舞う木の葉はいたるところで積もっている。

 嗚呼。いつの間に秋が来たというのか。春と夏を通り越して。

 そしてたどり着いたのは、これまた古めかしい邸宅。

 デザインは何世紀前のものだったか?確実に千年くらいは昔のものであろう。いまではドールハウスとしておもちゃ屋に並べられてしまいそうな、チープな邸宅。

 左右はシンメトリー。角度の高い屋根。おそらく二階建てで、壁は煉瓦。

 材質は全部本物だと思いたいけれど、これだけのものはそうそうないので、どこかにフェイクがあるに違いない。

 そんな言葉の通り夢のような邸宅の中に入り、吹き抜けの中央ホールと、絨毯の敷き詰められた、廊下を渡り、通された場所は、客間であろうか?

 十二畳ほどの空間に、木製の長椅子が二列で六つ。

 装飾はほとんど施されておらず、簡素と言って差し支えない。

 まるで教会を思い起こさせる配置だが、椅子の向かい側にあるのは、石像でもシンボルでもなく暖炉。

 その両隣りには縦長の窓があり、ただ仄青いばかりの空を映しだしていた。

 外から見た印象と、今まで通って来た場所とは異なり、どこか施設じみた雰囲気のある部屋ではある。

 しかし、ここでいったい何をするというのか。それともこの場所で待たされているだけなのか。

 それぞれが思い思いの場所に座り、もしくは背を預け。談笑を始める。

 彼らは知り合いなのだろうか。それとも親しくなったのか。

 私は誰とも口を聞く気になれず、入口が見えるように窓に背を預ける。

 窓の外はいつまでたっても同じ暗さ。

 太陽はいつ昇るというのか。

 私は窓に映るさえない自分の姿を眺めながら、ジーンズにセーターなんていうラフな格好ではなく、せめてハイネックにロングスカートにしておけばよかったと後悔していた。この空間にはあまりにも不釣り合い。気温的にもこれでは暑い。

 服装に気を使わないというのは、こういうときに不便なものだ。

 気鬱になるだけなので、姿の映るガラスは見ない事にし、誰が来るかもわからない扉のほうを見つめる。

 談笑をする中の誰かが、「ここはきっと天国に違いない」と言ったことに失笑を覚えながら。

 ここは死後じゃない。と心の中で呟いた。

 しばらくすると扉が開き、そこから小柄な老婆が現れる。

 大層古そうなデザインの、医療現場でつかわれていたみたいな白いブラウスと、浅葱色のワンピースに白のエプロン。頭には白のキャップ。

 背筋の曲がっていない彼女には、それがとてもよく映えていたのだが、それでもなぜか湧く違和感。

 彼女の後ろから、老婆よりは背が高いが、これまた小柄な若い女性。その後ろから、壮年の女性。そしてその後に背の高い青年が現れた。

 青年の肌は褐色しかし髪の毛は灰色。

 そのゆるくウエーブした髪の毛と、そして、青い瞳。すらりとした肢体。

 そのシルエットは以前耳にしたことがあるとある民族の特徴とよく似ていた。

 その血統の者なのだろうか?しかしこんな集まりなのだから、ここにどんな人がいても可笑しくはないはずだ。

 現に、今集まっている老人たちも作法や、見た目のことなる者たちばかり。

 中には人間じゃない種族の者だっている。

 その褐色の肌の彼が、白衣を着ていたことで、ようやく私は、ここが学会の延長線であったものだということを思い出し、先ほどの違和感に合点が行った。

 ここはこう見えても研究室であったのだ。

 彼が扉を閉めると、ここにいる者達席に座るようにと施し、三人の女性達は、私たち一人ひとりに文庫ほどの大きさの薄い書物を配り始めた。

手渡される時に、配っていた褐色の肌の若い女性と目が合い、微笑みをかけられる。

 私はそれに少し驚き、しかしそのまま彼女は何もなかったかのように、他の場所へ移動した。

 その書物は、表紙が赤い柔らかな革製で、題名はなく、しかしその容貌から以前母から譲り受けた聖典を彷彿とさせた。聖典にしては薄過ぎではあるが。

 私はそのまま目の前にある椅子に座る。そうすると、いつの間にか暖炉の前にいた彼を一番近くで見る羽目になってしまう。

 目鼻立ちのくっきりとした凛々しい表情。そして合間に見せる穏やかさ。

 それは彫刻のように計算されつくした美しさのようで、私は何かを間違えてしまったような居心地の悪さを感じた。

 私は彼の顔をなるべく見ないように、白衣の襟を眺めるようにする。

 彼は穏やかな口調であいさつを始める。

 その優しい低音に眩暈を覚えながら、居心地の悪さと、根拠のない寒気で、ここに来た事への後悔を禁じずにはいられなかった。

 挨拶が終わり、誰もが席を立つ。

 席の後ろで待機していた女性達に、施されるままに扉へと向かい、扉の前にいる彼から固い握手を受ける。

 先ほどの挨拶から、彼の名はシリン。

 シリン・センクラッドといった。

 

 ここに集まったものは皆、学会の有志である。

 それは私も同じ。そして同じ目的のために、この場所に生涯を預けることをにしたのだ。

 それほどまでにして、彼らはその知識を得たいということだろう。

 それも、純粋な知識のみ。

 そうでなければ、知ったところでその後に必ず死が待ち受けているであろうこの場所に、進んで入ることはないはずだ。

 もちろん。出ることだってできない。

 それでは牢獄ではないのだろうか?それとも、彼らにとっては世間の目から守られた加護なのだろうか?

 なんにせよ私には関係のないことである。

 私だけは彼らと違う目的と意思がある。だから私は彼らと同じような感情は抱けない。

 けれども、私も彼らと同じように生涯を捧げる。目的のために。

 はて、他者から見たらはたしてどちらがもの好きと映るだろうか?

 しかしそれは私という主観には永遠として謎である

 私を部屋まで案内したのは、他ならぬ、ジェリカルアネンだった。

 そう、先にあの本を手渡したあの女性。

 彼女のおせっかいはもうすでにこの時より始っており、私が事務希望だと知るや否や、その環境についてあれこれ話しだす。

 説明ではない。

 あれは立派に痴話であり、はたから見たら井戸端会議。

 そのまま廊下に立たせておくのもあれだと思ったので、しかたなく中に入れると、壁に釣るしてある真新しい制服を勝手に触りだした。

「ほんとに最初からそろっているんですね!これ、私と同じやつですよ!」

「貴女は、そうじゃなかったんですか?」

「私は、来る前に希望用紙書かされてなかったんです」

「そんなことがあるんですね。みんな書くものだと思っていました」

「私は特別なんですよぅ。って言っても劣等生ってことなんですけどね!」

 初対面からこの馴れ馴れしさ。

 これが私でなかったらすぐにでも打ちとけただろうけれど、私は無理。

 どうしてそんなに早く他人と交わろうとするのか?

「手帳の中身。読みました?」

「手帳?」

「さっき配ったやつですよ」

 読むも何も今さっきの出来事だ。読む間などない。

「びっくりしますよね。それ手帳なんですよ」

 そう言われれば確かにそれは手帳の姿をしている。聖典と間違えたのは云わば私の中の刷り込みだった。

「私、聖典かと思っちゃって。学会の延長のはずなのに、え?なんで?って。」

「貴方も、そう思ったんですね。」

「そうなんです!中見てもびっくりですよ。字が大きいんです。ここお年寄りが多いからそういう配慮なんですって」

「そうなんですか」

 確かに、開くとそこにはいつも見かける文字より、三倍ほどの大きさの文字が並んでいる。

 これを見れば、一般的な聖典ではないということが一目瞭然だ。

「それ、ちゃんと読んでおいた方がいいですよ」

「結構、大事なものだったりするんですか?」

「規則とか、そういうものなんですけど、罰則が厳しいんですよ。」

 それから彼女は又ひとしきりに何かを語り、そのまま鐘が鳴るまでそこにいた。

 鐘の音を聞くなり彼女は慌てて、簡略した挨拶をして部屋を出た。

 彼女の話の内容はほとんど覚えていない。

 たしか、同僚の噂話か何かだったか。

 手帳に書かれていた内容は、彼女の言ったとおり、この施設での規即。そして時間割など。

 学校の規律のように並べて書かれた文章は、一目見ただけではその重要性は知れず、思わず読み飛ばしてしまうだろう。

 それを教えてくれたことだけは、有難いと素直に思ってもいい。

 規律は大まかのところはこのようなものである。 

 

 総則

 (目的)

 第一条 本施設は施設責任者及び計画の実行者であるシリン=センクラッドの考案する方針に従い、西方都学会より独立し、永久を体現する生命の創造、及び観察。その解明を目的とする。

 

 (名称)

 第二条 本施設、及び本計画は、苑国(えんこく)、月影の生命計画とする。

 

 入職、退職、休職等

 (入職資格)

 第九条 本施設に入職する事ができる者は、西方都学会に十年以上在籍した者。なおかつ本施設の運営、目的に叶う者とする。

 (退職)

 第十五条 職員が退職しようとするときは、その理由を本人が明記し、願い出て許可を受けなければならない。

(休職)

 第十六条 職員が休職しようとするときは、上記同様その理由を本人が明記し、願い出て許可を受けなければならない。 それによる期間は一か月及び三か月を目途にする。それを過ぎる場合は、改めて願い出て許可を受けなければならない。場合により、この手続きは簡略される場合がある。

 

 賞罰

 (懲戒)

 第三十一条 職員が本施設の定める諸規則を守らずその本分に悖る行為があった場合は、懲戒処分を行う。

 二、懲戒は、訓告、停職及び退職とする。

 三、前項の退職は、次の各号の一に該当する職員に対してのみ行うものとする。

 

 (一)苑国の秩序を乱し、その他職員として本分に反した者。

 (二)正当の理由なく、他者に無闇に己の素性を語る者。

 (三)正当の理由なく、被検体への私的な接触、及び危害を加える者。

 (四)学習不足等で成業の見込みがないと認められる者。

 (五)体調の不全で改善の見込みがないと認められる者。

 

  日程表

    起床 就寝時間より六時間程度

    朝食 予鈴二時間前より準備、支度 本鈴より一時間

    昼食 上記同様

    夕食 上記同様

    就寝 本鈴から六時間程度

 

 一、本施設においての経過時刻については鐘の音のみ目安にする。(一部例外あり)

 二、朝食、昼食、夕食それぞれの合図は鐘の音三つとする。

 三、起床、就寝それぞれの合図は鐘の音二つとする。

 四、どの時間においても必ず予鈴を設ける。

 五、各職場において必ず出欠確認をすること。

 六、許可なく事務所、及び鐘塔への出入りはしないこと。

 七、生活管理は各自責任を持って行うこと。

 

 この場所が特殊なのは覚悟していたので、一見厳しすぎもせず、優し過ぎもせず、といったところだろう。

 それとも、私が規則に慣れた生活をしていたせいで、そう感じるのかもしれないが。

 少なくとも彼女が言ったような感想は持てなかった。

 ただ、この書かれていることが、どの程度の基準を持ってなのかが曖昧なため、 もしかしたら私が思うより厳しいのかもしれない。

 それに、退職は死刑と同様と考えれば厳しいと考える方が最もなのか。

 他人などに関心のない私としては。有難い規則ではあった。

 これなら、時間の感覚においては不安は残るものの、さほど苦なく過ごせるように思える。

 そしてここでようやく、この場所ではいくら待っても太陽は現れないのだ、ということを知った。

 それは何か諦めにも似たような、それでいて当然のような、不思議と大して驚きはなかった。

 ただ、私はもう二度とあの場所には戻ることはないのだ、という事がここでようやく実感できたようで、それは少しさみしいような、それでいて酷く安心したような、そういった静かな感情だけが流れた。

 

 与えられた部屋の窓は小さく、そこには分厚いカーテンが掛けられている。

 部屋の広さは、六畳ほど。床はフローリング。その上から鮮やかな色彩と模様で彩られた絨毯が敷かれてある。

 片隅には使い込まれた古いデザインの木製の寝台が置かれており、その色合いは何とも高貴。

 その反対側には同じく年期を帯びた風合いの木製の机と椅子が備え付けられていた。

 施設の寮室としてはいささか豪華、貴族の屋敷の一室としては質素といったところだろう。

 しかし、屋敷そのものの異様に古めかしい印象とは異なり、意外にも設備は近代的で、先ほどの部屋もそうだが、天井には蛍光灯が備え付けられていた。

 私は小さな窓に掛っている、細やかな薔薇の模様が施されている、深緑色のカーテンを開けてから、ドアの横に備え付けてある蛍光灯のスイッチを落とすと、しばらく途方に暮れたように、窓から差し込んでくる独特な青い光を眺めた。

 寝台の上には、ジェリカルアネンが弄んでいった制服が投げ置かれている。

 私は翌日からそれを着て、この青い光を毎日見続ける。

 唐突に、強い既視感を覚えた。しかしそれは既視感ではなく、眩暈にも似た何か。

 その強い感情は胸の奥の何かを焦がしたかのように鼻から抜け、しかしその想いを私は否定した。

 この場所を知っているはずもなく、このような景色に見覚えもない。見覚えもないのだから生活した覚えなんて言うものもない。だからこそ、私はその異様な感覚に戸惑い、恐怖した。

 懐かしいだなんて。どうしてそんなことを思えるのだろう。

 どうして、この懐かしさは私を溺れるほど深くに沈めるのだろう。

 

 

 時間がたてば薄れるだろうと思っていたその感覚は、私の予想に反し日に日に強くなっていった。

 否、強くなっていったというより、濃くなったというべきか、それはいつも唐突に、忘れたころを狙って付け入る。

 それは私の気持ちとは関係なく訪れ、そして気まぐれに去っていく。

 私はその感情との付き合い方が分からぬまま、ただ流され、抵抗も空しく沈むほかない。

 そしてそこから浮上したところで、私の気分は一層悪くなるのだ。

 そしてそれは今、この瞬間にも起きていて、私はあまりの苦しさに、思わず洗いたてのハンカチを風に持っていかれる。

 湿ったハンカチが風に乗ることはなく、そのまま地面にたたき落とされ、ざらついた黒い粒子を付着させ、歪な泥団子になった。

 ああ、折角一人になれたというのに。自分ひとりのことを思い出すのも儘ならないなんて。

 泥団子を拾い上げると同時に、高価な鍋をたたき割ったかのような音が三回響く。

 上司から支給されている懐中時計を盗み見たところ、時刻は九時を目指していた。

 このところ、一日の時間が大幅にずれているように思える。

 原則的には、鐘の音だけで生活しなくてはいけないのだが、調理の支度や研究などでどうしても時間を図る必要がある。そのため、公には公表せず、私たちには一人一つの時計を持たされていた。

 それでもそれはあくまで補助的な目安であって、基本的には鐘の音に従わなくてはならない。

 これは、鐘突きの係が怠っているのか、それとも何かわけがあってそうなのか、度々本来の時間とはずれた時刻を知らせている。

 とはいえ、本来の正しい生活と呼ばれるものからずれた生活をし続けている身には、それも些細なことであった。

 事件らしい事件は耳にせず。流れるのは他愛もない噂話。それも悪意のない戯言。

 やることは常に単調で、辛過ぎもせず、楽過ぎもせず、人間関係も、一人を除けばさほど気になるほどの距離はなく。

 若者には早すぎた死後というのだろうか。

 この流れるような平穏を、不気味なものに感じてしまうのは。

 いいや、ここは死後ではない。

 これは確かに私の選んだ生である。

 しかしそこには終わることのない緩やかな苦痛のような、そう言ったある種の毒を終わりなく飲まされ続けているような、それとも、嵐が起こる前の静けさというのか、そのような不安を孕み続けた安楽というのか。

 そう言ったものを、そう言ったものの残り香を、私は感じ取らずにはいられなかった。

 もしかしたら、時々来るあの感情はそう言った何かを凝縮したものなのかもしれない。

 だとしても、私にはそれについて出来ることなど何もないのだ。

 私はただ、私だけのためにここにいる。それ以上でもそれ以下でもなく。そして、それを果たすまで、私は死を選べない。

 たとえその不安と懐かしさが、私をここより以前の何かに導いたとしても。そしてそれがあらゆるものの息の根を止めるような、そう言った幸福だとしても。

 私はその声に振り替えることなく。終わるまでその終わりそうもない不安を眺め続けるのだ。

 でもそれまで大分時間がある。やりかけの選択は後ででもできるだろう。

 私は、空になった洗濯篭に砂の張り付いたハンカチを投げ入れ、それを持って館内に向かった。

 このハンカチを洗い直せば、もう見ることのない空のように青いだろう。

 でも、その前に食事が待っている。

 

              
                                続く